POP/R&B 両チャートNo.1 その14 [黒人音楽]
POP/R&B 両チャートNo.1の「その14」です。
今回は、1985-1987年からの5曲となりました。
両チャートNo.1が一時期減っていましたが、
'80年台中頃からまた増えてきました。
1曲目は、USA・フォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」(1985)です。
これだけのメンツで、良い曲を歌うと何らかの感興を引き起こします。
その上、クインシー・ジョーンズのアレンジも良く、メッセージ性もあったので、
超大ヒットとなりました。
2曲目は、パティ・ラベルの「オン・マイ・オウン」(1986)です。
ドゥービー・ブラザーズでも活躍したマイケル・マクドナルドとの
デュエットになっています。
サビの部分のみ記憶にありました。典型的なAORだと思います。
3曲目は、グレゴリー・アボットの「シェイク・ユー・ダウン」(1986)です。
自作のデビュー曲です。少し声高めで、カントリー系ソウルでも
歌わせたら似合いそうです。
女性歌手のフリーダ・ペインと数年間結婚していたようです。
4曲目は、リサ・リサ&カルト・ジャムの「ヘッド・トゥ・トー」(1987)です。
次曲のロスト・イン・エモーション」(1987)でも両チャートNo.1でした。
当時流行の打ち込みサウンドになっていると思います。
最後は、アトランティック・スターの「オールウェイズ」(1987)です。
私はシャロン・ブライアントがいる頃も素晴らしかったと思います。
今回は、1985-1987年からの5曲となりました。
両チャートNo.1が一時期減っていましたが、
'80年台中頃からまた増えてきました。
1曲目は、USA・フォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」(1985)です。
これだけのメンツで、良い曲を歌うと何らかの感興を引き起こします。
その上、クインシー・ジョーンズのアレンジも良く、メッセージ性もあったので、
超大ヒットとなりました。
2曲目は、パティ・ラベルの「オン・マイ・オウン」(1986)です。
ドゥービー・ブラザーズでも活躍したマイケル・マクドナルドとの
デュエットになっています。
サビの部分のみ記憶にありました。典型的なAORだと思います。
3曲目は、グレゴリー・アボットの「シェイク・ユー・ダウン」(1986)です。
自作のデビュー曲です。少し声高めで、カントリー系ソウルでも
歌わせたら似合いそうです。
女性歌手のフリーダ・ペインと数年間結婚していたようです。
4曲目は、リサ・リサ&カルト・ジャムの「ヘッド・トゥ・トー」(1987)です。
次曲のロスト・イン・エモーション」(1987)でも両チャートNo.1でした。
当時流行の打ち込みサウンドになっていると思います。
最後は、アトランティック・スターの「オールウェイズ」(1987)です。
私はシャロン・ブライアントがいる頃も素晴らしかったと思います。
POP/R&B 両チャートNo.1 その13 [黒人音楽]
POP/R&B両チャートNo.1の「その13」は、1984-1985年からの5曲で、
先日亡くなったプリンスも登場します。
なおホイットニー・ヒューストンは、別枠で登場させたので省略致します。
フュージョン、ディスコ、ファンクの時代をくぐり抜け、
黒人と白人の音楽の差が減ったように思います。
1曲目は、ビリー・オーシャンの「カリビアン・クイーン」(1984)です。
風貌とは異なり、白人風な歌唱をする人のようです。
「ゼアル・ビー・サッド・ソングズ」(1986)、「ゲット・オウタ・マイ・ドリームス、
ゲット・イントゥ・マイ・カー」(1988)でも両チャートNo.1です。
2曲目は、レイ・パーカーJr.の映画テーマソング「ゴースト・バスターズ」(1984)です。
都会派黒人シンガー・ソングライター風なイメージがあるのですが、
こんなハチャメチャな曲も書くとは!?
彼はセッション・ギタリストやプロデューサー業もしており、
何でも出来る人のようです。ヴォーカルは渋いです。
3曲目は、プリンスの「レッツ・ゴー・クレイジー」(1984)です。
前曲「ホエン・ダヴズ・クライ」(1984)他、計4曲で両チャートNo.1となっています。
先の2曲は、いずれも超大ヒット・アルバム「パープル・レイン」からのシングル・カットです。
プリンスは1978年レコードデビューで、ミック・ジャガーらに絶賛されたりしてはいましたが、
これらのシングルとアルバムと映画で、さらに大勢のファンを獲得しました。
R&BチャートNo.1は全8曲、POPチャートNo.1は全5曲です。
最近ヒットチャートからはご無沙汰していましたが、地道に良いアルバムを作ってました。
4曲目は、デニース・ウィリアムスの「レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ」(1984)です。
ジョニー・マティスとのデュエットで先に両チャートNo.1獲得済ですが、
ソロとしてはこの曲が唯一です。
彼女は他に「イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル」(1982)でR&B No.1になっています。
歯切れの良いスカッとした歌唱が魅力的です。
5曲目最後は、ディオンヌ・ワ-ウィックの「愛のハーモニー」(1985)です。
エルトン・ジョン、グラディス・ナイト、スティービー・ワンダーと一緒に歌っています。
バート・バカラックとキャロル・ベイヤー・セイガーが作った秀曲です。
オリジナルは、映画「ラブ IN ニューヨーク」(1982)のサントラで、
ロッド・スチュワートが歌ったものだそうです。私は全く知りませんでした。
POP/R&B 両チャートNo.1 その12 [黒人音楽]
POP/R&B両チャートNo.1の「その12」は、1979-1981年からの5曲です。
今回は日本でも有名なアーティストが、多めに揃いました。
最初はドナ・サマーの「バッド・ガール」(1979)です。
「マッカーサー・パーク」(1978)、「ホット・スタッフ」(1979)から
3曲連続の全米No.1にもなっています。これはすごいことです。
彼女の音楽は、ディスコからファンクへ変化していたと思います。
次はアニタ・ワードのデビュー曲「リング・ベル」(1979)です。
ヒットは本当にこの曲だけだったみたいです。
全米音楽界としても、ディスコ最後の大ヒット曲でしょうか?
3曲目は、クール&ザ・ギャングの「セレブレイション」(1980)です。
R&BのNo.1は、「ハリウッド・スウィンギング」(1974)を皮切りに、
9曲もある人気ファンク・グループです。
1980年頃リード・ヴォーカルにジェイムス・テイラーを迎えてからは、
さらに一般受けするグループになりました。
4曲目は、ホール&オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」(1981)です。
POPチャートNo.1は、「リッチ・ガール」(1977)を初めに、全部で6曲もあります。
同世代アーティストなので、たまにベスト盤を聴きたくなります。
最後は、ライオネル・リッチーのダイアナ・ロスとのデュエットで
「エンドレス・ラヴ」(1981)です。
コモドアーズのリード・ヴォーカリストだった彼は、
ソロ活動に入ってからも大ヒット連発で、
4曲も両チャートNo.1になっています。
POP/R&B 両チャートNo.1 その11 [黒人音楽]
POP(現全米)/R&B 両チャートNo.1の「その11」は、
1976-1978年からの5曲です。
私にとっては懐かしい、シックやテイスト・オブ・ハニーも登場します。
1曲目は、テルマ・ヒューストンの「ドント・リーヴ・ミー・ディス・ウェイ」(1976)です。
R&Bというよりも、ロック的なフィーリングを感じます。
2曲目は、シックの「おしゃれフリーク」(1978)です。
翌年の「グッド・タイムズ」(1979)でも、両チャートNo.1です。
ダフト・パンクの「ゲット・ラッキー」(21013)で、最近復活していますが、
ナイル・ロジャースのギターが非常に印象的です。
ベースのバーナード・エドワーズと共に、プロデューサーとしても活躍していました。
3曲目は、テイスト・オブ・ハニーの「今夜はブギ・ウギ・ウギ」(1978)です。
これまたギターとドラムスのコンビネーションがカッコ良い。
「上を向いて歩こう」の英語版「スキヤキ」(1981)は、
R&B No.1になっています。
4曲目は、50年代から活躍しているジョニー・マティスと、
デニース・ウィリアムズのデュエットで「トゥー・マッチ、トゥー・リトル、トゥー・レイト」(1978)です。
デニースの歌は、切れ味良く鮮烈な印象です。
最後は、コモドアーズ「スリー・タイムズ・ア・レディ」(1978)です。
ヴォーカルは、あのライオネル・リッチーで、
名スロー・バラードになっています。
元々ファンク・グループのコモドアーズは、
「スティル」(1979)でも両チャートNo.1、
「スリッパリー・ホエン・ウェット」(1975)他計7曲が
R&B No.1となっています。
1976-1978年からの5曲です。
私にとっては懐かしい、シックやテイスト・オブ・ハニーも登場します。
1曲目は、テルマ・ヒューストンの「ドント・リーヴ・ミー・ディス・ウェイ」(1976)です。
R&Bというよりも、ロック的なフィーリングを感じます。
2曲目は、シックの「おしゃれフリーク」(1978)です。
翌年の「グッド・タイムズ」(1979)でも、両チャートNo.1です。
ダフト・パンクの「ゲット・ラッキー」(21013)で、最近復活していますが、
ナイル・ロジャースのギターが非常に印象的です。
ベースのバーナード・エドワーズと共に、プロデューサーとしても活躍していました。
3曲目は、テイスト・オブ・ハニーの「今夜はブギ・ウギ・ウギ」(1978)です。
これまたギターとドラムスのコンビネーションがカッコ良い。
「上を向いて歩こう」の英語版「スキヤキ」(1981)は、
R&B No.1になっています。
4曲目は、50年代から活躍しているジョニー・マティスと、
デニース・ウィリアムズのデュエットで「トゥー・マッチ、トゥー・リトル、トゥー・レイト」(1978)です。
デニースの歌は、切れ味良く鮮烈な印象です。
最後は、コモドアーズ「スリー・タイムズ・ア・レディ」(1978)です。
ヴォーカルは、あのライオネル・リッチーで、
名スロー・バラードになっています。
元々ファンク・グループのコモドアーズは、
「スティル」(1979)でも両チャートNo.1、
「スリッパリー・ホエン・ウェット」(1975)他計7曲が
R&B No.1となっています。
POP/R&B 両チャートNo.1 その10 [黒人音楽]
POP/R&B両チャートNo.1の「その10」は、
1976-1977年からの5曲です。
最初は、ジョニー・テイラーの「ディスコ・レディ」(1976)です。
あのブルースのジョニーさんもディスコで、
生涯唯一の両チャートNo.1となりました。
ただディスコといっても、本人の歌唱はいつもと
あまり変わっていないと思います。
「フーズ・メイキング・ラヴ」(1968)等、R&B No.1は
合計4曲あります。
次は、シルヴァーズの「ブギー・フィーヴァー」(1976)です。
シルヴァー兄弟の黒人男女数名からなるグループです。
なかなかノリが良くてGoodです。
ジャクソン5と同じで、声変わり前の男の子も
少しリードをとっています。
3曲目は、マンハッタンズの「キス・アンド・セイ・グッバイ」(1976)です。
こちらは正統派黒人コーラスグループの、正統派スウィートソウルです。
リード・ヴォーカルは、ジェラルド・アリストンで、
サム・クックの影響も伺えます。
4曲目は、ローズ・ロイスのデビュー曲「カー・ウォッシュ」(1976)です。
LA出身のヴォーカル&インスト、ファンク・グループで、
女性がリードをとっています。
最後の5曲目は、エモーションズの「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」(1977)です。
元々は女性3姉妹からなるグループで、
この曲はアース・ウィンド・ファイアの
モーリス・ホワイトらがプロデュースしています。
1976-1977年からの5曲です。
最初は、ジョニー・テイラーの「ディスコ・レディ」(1976)です。
あのブルースのジョニーさんもディスコで、
生涯唯一の両チャートNo.1となりました。
ただディスコといっても、本人の歌唱はいつもと
あまり変わっていないと思います。
「フーズ・メイキング・ラヴ」(1968)等、R&B No.1は
合計4曲あります。
次は、シルヴァーズの「ブギー・フィーヴァー」(1976)です。
シルヴァー兄弟の黒人男女数名からなるグループです。
なかなかノリが良くてGoodです。
ジャクソン5と同じで、声変わり前の男の子も
少しリードをとっています。
3曲目は、マンハッタンズの「キス・アンド・セイ・グッバイ」(1976)です。
こちらは正統派黒人コーラスグループの、正統派スウィートソウルです。
リード・ヴォーカルは、ジェラルド・アリストンで、
サム・クックの影響も伺えます。
4曲目は、ローズ・ロイスのデビュー曲「カー・ウォッシュ」(1976)です。
LA出身のヴォーカル&インスト、ファンク・グループで、
女性がリードをとっています。
最後の5曲目は、エモーションズの「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」(1977)です。
元々は女性3姉妹からなるグループで、
この曲はアース・ウィンド・ファイアの
モーリス・ホワイトらがプロデュースしています。
スティービー・ワンダーの「いそしぎ」(1969) [黒人音楽]
2/20のブログで取り上げた、スティービー・ワンダーの「いそしぎ
/The Shadow Your Smile」のYouTubeを初めて見た時は、
少し感動しました。
何故かというと以下の理由①~④によると思います。
①私の好きなスタンダート曲を、あのスティービーが
取り上げてくれていたという驚き
②ビートルズ「ヘイ・ジュード」のミュージック・ビデオ等と
近い演出なのですが、盲目であるスティービーを
大勢の若者が取り囲んで聴くという演出
(当時良くあったものだと思います)
③大人になったスティービーなのにまだ白黒テレビで、
外国イタリアでの映像という、貴重なものを見た感覚
④彼の声の良さと、古典的なストリングズ&コーラス・アレンジ
2度目なのですが、以下にまた彼の「いそしぎ」をアップします。
?まさかと思って確認してみると、1969年の彼のアルバム
「マイ・シェリー・アモール」の4曲目収録でした。
しかも、一年くらい前に図書館CDをダビングしたものだけれど、
私の手元にもありました。
良いアルバムだなと思っていましたが、「いそしぎ」が入っている
とはすっかり忘れてました。
2つを聴き比べてみると、少し音質は変わってますが、
全く同じ!です。
つまり上のYouTube映像は、口パクだった事になります。
少し「ナーンだ」と思い、改めて上記の理由①~④を考えてみたワケです。
アルバム「マイ・シェリー・アモール」からタイトル・トラックです。
シングルカットされて、POP/R&B両チャート4位になっています。
おまけで、ビートルズの「ヘイ・ジュード」(1968)です。
後半、実は大勢の若者に取り囲まれていたという演出になっています。
P.S.これも口パクのような気がします。マーしょうがないか・・・。
P.S.(2)今考え直しましたが、上記YouTubeは口パクとは
必ずしも言えないです。スタジオでは本人生演奏で、
放送用に別途録音を流すこともあるかも知れません。
POP/R&B 両チャートNo.1 その9 [黒人音楽]
POP(現全米)/R&B両チャートNo.1 「その9」は、
1975~1976年からの5曲です。
ディスコ時代が到来しました。
その前にファンクの流れもあり、両者の厳密な区分けは
難しいと思います。
この辺からようやく、私はリアルタイムで聴いており、
みんな懐かしいです。
1曲目は、シルヴァー・コンベンションの
「フライ・ロビン・フライ」(1975)です。
当時聴いていますが、映像は初めて見ました。
キャバレーのお姉さんみたいな感じです。
ドイツ出身のディスコ・グループらしいです。
次曲の「恋のブギー」(1976)もPOPチャート2位になっています。
2曲目は、アース・ウィンド&ファイヤーの
「シャイニング・スター」(1975)です。
その後も「シング・ア・ソング」(1975)等、
計8曲でR&B No.1取ってますが、
両チャートNo.1はこの1曲のみです。
当時人気絶頂に思えた彼らでも1曲のみか・・・と思います。
リーダーでメイン・ヴォーカリストの一人だったモーリス・ホワイトは、
2016年2月3日に74歳で亡くなりました。
3曲目は、KC & サンシャイン・バンドの「ゲット・ダウン・トゥナイト」(1975)です。
次曲のより有名な「ザッツ・ザ・ウェイ」(1975)、
「シェイク・ユアー・ブーティー」(1976)も両チャートNo.1です。
その他「アイム・ユアー・ブギーマン」(1977)等、
計5曲でPOPチャートNo.1です。
「キープ・イット・カミング・ラヴ」(1977)はR&B1位、POP2位でした。
実績からすれば、最高のディスコ・グループでしょうか?
4曲目は、ヴァン・マッコイの「ハッスル」(1975)です。
当時流行りました。この明るく野放図なところが新鮮でした。
5曲目最後は、ワイルド・チェリーの
「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」(1976)です。
当時は黒人音楽など関心がなかったため、
曲中の黒人音楽らしさは記憶から欠落していました。
記憶とはおかしなモノです。
1975~1976年からの5曲です。
ディスコ時代が到来しました。
その前にファンクの流れもあり、両者の厳密な区分けは
難しいと思います。
この辺からようやく、私はリアルタイムで聴いており、
みんな懐かしいです。
1曲目は、シルヴァー・コンベンションの
「フライ・ロビン・フライ」(1975)です。
当時聴いていますが、映像は初めて見ました。
キャバレーのお姉さんみたいな感じです。
ドイツ出身のディスコ・グループらしいです。
次曲の「恋のブギー」(1976)もPOPチャート2位になっています。
2曲目は、アース・ウィンド&ファイヤーの
「シャイニング・スター」(1975)です。
その後も「シング・ア・ソング」(1975)等、
計8曲でR&B No.1取ってますが、
両チャートNo.1はこの1曲のみです。
当時人気絶頂に思えた彼らでも1曲のみか・・・と思います。
リーダーでメイン・ヴォーカリストの一人だったモーリス・ホワイトは、
2016年2月3日に74歳で亡くなりました。
3曲目は、KC & サンシャイン・バンドの「ゲット・ダウン・トゥナイト」(1975)です。
次曲のより有名な「ザッツ・ザ・ウェイ」(1975)、
「シェイク・ユアー・ブーティー」(1976)も両チャートNo.1です。
その他「アイム・ユアー・ブギーマン」(1977)等、
計5曲でPOPチャートNo.1です。
「キープ・イット・カミング・ラヴ」(1977)はR&B1位、POP2位でした。
実績からすれば、最高のディスコ・グループでしょうか?
4曲目は、ヴァン・マッコイの「ハッスル」(1975)です。
当時流行りました。この明るく野放図なところが新鮮でした。
5曲目最後は、ワイルド・チェリーの
「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」(1976)です。
当時は黒人音楽など関心がなかったため、
曲中の黒人音楽らしさは記憶から欠落していました。
記憶とはおかしなモノです。
POP/R&B 両チャートNo.1 その8 [黒人音楽]
POP(現全米)/R&B両チャートNo.1の「その8」は、
また70年代からの5曲です。
まだまだ70年代は多くて、今回はみんな1974年の曲です。
1曲目は、ロバータ・フラックの
「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」(1974)です。
コーヒーのCMソングにもなった名曲「やさしく歌って」(1973)は、
惜しくもR&Bチャートの方が2位止まりでした。
POPチャートNo.1は他に「ファースト・タイム・エバー・
アイ・ソー・ヒズ・フェイス」(1972)の計3曲、
R&BNo.1は他に「ホエア・イズ・ユア・ラヴ」
(1972)等の計4曲あります。
両チャート1位を取れる音楽性のある人ですが、
結局1曲のみでした。
2曲目は、スリー・ディグリーズの
「ソウルトレインのテーマ」(1974)です。
両チャート唯一のNo.1でした。
次の次の曲が「天使のささやき」(1974)で、POPチャート2位です。
彼女らは日本でも人気が有り、
日本語で「苦い涙」も歌っていました。
日本での人気曲の一つ「荒野のならず者」(1973)は、
アメリカではヒットしていません。
3曲目は、ジョージ・マックレーの
「ロック・ユアー・ベイビー」(1974)です。
これがデビュー曲です。
デビュー曲が唯一のNo.1という例は結構あると思います。
長い間奏部のギターにフュージョン時代を感じます。
奥さんは歌手のグウェン・マックレーです。
4曲目は、のオハイオ・プレイヤーズの「ファイアー」(1974)です。
サイレンの音から始まります。
翌年の「ラヴ・ローラーコースター」(1975)でも両チャートNo.1です。
その他「ファンキー・ワーム」(1973)等、
計5曲でR&B No.1となっています。
人気のあるファンク・バンドは、
両チャート1位を取るケースがあるようです。
5曲目は、あのパティ・ラベルが在籍していたラベルの
「レディー・マーマレード」(1974)です。
両チャート唯一のNo.1となっています。
なかなかファンキーで、ノれる曲です。
ディスコ時代が近いという感じがします。
また70年代からの5曲です。
まだまだ70年代は多くて、今回はみんな1974年の曲です。
1曲目は、ロバータ・フラックの
「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」(1974)です。
コーヒーのCMソングにもなった名曲「やさしく歌って」(1973)は、
惜しくもR&Bチャートの方が2位止まりでした。
POPチャートNo.1は他に「ファースト・タイム・エバー・
アイ・ソー・ヒズ・フェイス」(1972)の計3曲、
R&BNo.1は他に「ホエア・イズ・ユア・ラヴ」
(1972)等の計4曲あります。
両チャート1位を取れる音楽性のある人ですが、
結局1曲のみでした。
2曲目は、スリー・ディグリーズの
「ソウルトレインのテーマ」(1974)です。
両チャート唯一のNo.1でした。
次の次の曲が「天使のささやき」(1974)で、POPチャート2位です。
彼女らは日本でも人気が有り、
日本語で「苦い涙」も歌っていました。
日本での人気曲の一つ「荒野のならず者」(1973)は、
アメリカではヒットしていません。
3曲目は、ジョージ・マックレーの
「ロック・ユアー・ベイビー」(1974)です。
これがデビュー曲です。
デビュー曲が唯一のNo.1という例は結構あると思います。
長い間奏部のギターにフュージョン時代を感じます。
奥さんは歌手のグウェン・マックレーです。
4曲目は、のオハイオ・プレイヤーズの「ファイアー」(1974)です。
サイレンの音から始まります。
翌年の「ラヴ・ローラーコースター」(1975)でも両チャートNo.1です。
その他「ファンキー・ワーム」(1973)等、
計5曲でR&B No.1となっています。
人気のあるファンク・バンドは、
両チャート1位を取るケースがあるようです。
5曲目は、あのパティ・ラベルが在籍していたラベルの
「レディー・マーマレード」(1974)です。
両チャート唯一のNo.1となっています。
なかなかファンキーで、ノれる曲です。
ディスコ時代が近いという感じがします。
POP/R&B 両チャートNo.1 その7 [黒人音楽]
POP(現全米)/R&B 両チャートNo.1の「その7」です。
今回は70年代の5曲を紹介します。
70年代はいわゆるフュージョンの時代?のためか、
両チャートNo.1の曲数が段々増えてきています。
最初は、ダイアナ・ロスです。
シュープリームスをやめてソロになってから、
計4曲の両チャートNo.1を出しています。
「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」(1970)、
「ラヴ・ハングオーバー」(1976)、「アップサイド・ダウン」(1980)、
ライオネス・リッチーとのデュエット「エンドレス・ラヴ」(1981)です。
彼女は、その他にも2曲のPOPチャートNo.1ヒット
「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」(1973)、
「マホガニーのテーマ」(1975)を歌っています。
ここでは、最初の両チャートNo.1の
「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」を聴いて下さい。
次はオージェイズの「ラヴ・トレイン」(1973)です。
前年の名曲「裏切り者のテーマ」(1972)は
POPチャートの方が、惜しくも3位止まりでした。
彼らはその他にも「ギヴ・ザ・ピープル・ホワット・ゼイ・ウォント」(
1975)等8曲、計10曲ものR&B No.1を獲得しています。
彼らの唱法はソウルそのものなので、
時代が下ってもPOPチャートでは分が悪いようです。
3番目は、グラディス・ナイト&ピップスの
「夜汽車よ!ジョージアへ」(1973)です。
その他にも8曲のR&B No.1があり、
「悲しいうわさ」(1967)、「ニーザー・ワン・オブ・アス」(1973)は、
POPチャートで惜しくも2位でした。
彼女も代表的な女性ソウル歌手なので、
オージェイズと同じことが言えます。
4番目は、元テンプテーションズのリードヴォーカリストである
エディ・ケンドリックスの「キープ・オン・トラッキン(パート1)」(1973)です。
次の曲の「ブギー・ダウン」(1974)は、
POPチャートの方が2位止まりでした。
「シューシャイン・ボーイ」(1975)もR&BチャートNo.1です。
5番目は、バリー・ホワイトの
「キャント・ゲット・イナフ・オブ・ユア・ラヴ」(1974)です。
あのPOPチャートNo.1の有名曲「愛のテーマ」を作った、
シンガーソングライター、プロデシューサーでもあります。
POPチャート2位止まりだった
「ユー・アー・ザ・ファースト、ザ・ラスト、エヴリシング」(1975)等、
他にも4曲のR&BチャートNo.1があります。
今回は70年代の5曲を紹介します。
70年代はいわゆるフュージョンの時代?のためか、
両チャートNo.1の曲数が段々増えてきています。
最初は、ダイアナ・ロスです。
シュープリームスをやめてソロになってから、
計4曲の両チャートNo.1を出しています。
「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」(1970)、
「ラヴ・ハングオーバー」(1976)、「アップサイド・ダウン」(1980)、
ライオネス・リッチーとのデュエット「エンドレス・ラヴ」(1981)です。
彼女は、その他にも2曲のPOPチャートNo.1ヒット
「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」(1973)、
「マホガニーのテーマ」(1975)を歌っています。
ここでは、最初の両チャートNo.1の
「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」を聴いて下さい。
次はオージェイズの「ラヴ・トレイン」(1973)です。
前年の名曲「裏切り者のテーマ」(1972)は
POPチャートの方が、惜しくも3位止まりでした。
彼らはその他にも「ギヴ・ザ・ピープル・ホワット・ゼイ・ウォント」(
1975)等8曲、計10曲ものR&B No.1を獲得しています。
彼らの唱法はソウルそのものなので、
時代が下ってもPOPチャートでは分が悪いようです。
3番目は、グラディス・ナイト&ピップスの
「夜汽車よ!ジョージアへ」(1973)です。
その他にも8曲のR&B No.1があり、
「悲しいうわさ」(1967)、「ニーザー・ワン・オブ・アス」(1973)は、
POPチャートで惜しくも2位でした。
彼女も代表的な女性ソウル歌手なので、
オージェイズと同じことが言えます。
4番目は、元テンプテーションズのリードヴォーカリストである
エディ・ケンドリックスの「キープ・オン・トラッキン(パート1)」(1973)です。
次の曲の「ブギー・ダウン」(1974)は、
POPチャートの方が2位止まりでした。
「シューシャイン・ボーイ」(1975)もR&BチャートNo.1です。
5番目は、バリー・ホワイトの
「キャント・ゲット・イナフ・オブ・ユア・ラヴ」(1974)です。
あのPOPチャートNo.1の有名曲「愛のテーマ」を作った、
シンガーソングライター、プロデシューサーでもあります。
POPチャート2位止まりだった
「ユー・アー・ザ・ファースト、ザ・ラスト、エヴリシング」(1975)等、
他にも4曲のR&BチャートNo.1があります。
POP/R&B 両チャートNo.1 その6 [黒人音楽]
POP(現全米)/R&B両チャートNo.1の「その6」です。
60~70年代の6曲を年代順に紹介します。
ソウルやファンクの時代になって来ています。
1曲目は、リトル・エヴァの「ロコモーション」(1962)です。
この曲はカバーも多いですが、
リトル・エヴァがオリジナルで、黒人女性でした。
彼女のデビュー曲です。POPソングの印象が強かったため、
前回には見落としてしまいました。
ゴフィン&(キャロル)キングの曲であり、
当時リトル・エヴァは、彼らの子供の
ベビーシッターをしていたそうです。
2曲目は、アーチー・ベル&ドレルズの
「タイトゥン・アップ」(1968)です。
これも彼らのデビュー曲で、
見事な自作ファンクになっています。
3曲目は、スライ&ファミリー・ストーンの
「エヴリデイ・ピープル」(1968)です。
彼らは他にも「サンキュー」」(1969)と「ファミリー・アフェアー」
(1971)が両チャートNo.1になっており、
ファンクとロックを自由に行き来した名グループです。
4曲目は、黒人女性3人グループの
ハニー・コーンの「ウォント・アズ」(1971)です。
それまでの黒人女性グループの多くと異なり、
完全なソウルになってます。
後にもこのスタイルは少なく、貴重な人たちです。
5曲目は、スウィート・ソウル・グループのチャイ・ライツの
「オー・ガール」(1972)です。
ひとつ前のシングル「ハヴ・ユー・シーン・ハー」(1971)も、
R&BチャートNo.1になっています。
6曲目は、ビル・ウィザーズの「リーン・オン・ミー」(1972)です。
コンテンポラリーな資質を持った人であり、
ポール・マッカートニーも、彼のデビューヒット曲
「エイント・ノー・サンシャイン」(1971)を後年カバーしてます。