" />
SSブログ
黒人音楽 ブログトップ
前の10件 | -

POP/R&B 両チャートNo.1 その14 [黒人音楽]

POP/R&B 両チャートNo.1の「その14」です。

今回は、1985-1987年からの5曲となりました。

両チャートNo.1が一時期減っていましたが、
'80年台中頃からまた増えてきました。


1曲目は、USA・フォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」(1985)です。
これだけのメンツで、良い曲を歌うと何らかの感興を引き起こします。

その上、クインシー・ジョーンズのアレンジも良く、メッセージ性もあったので、
超大ヒットとなりました。




2曲目は、パティ・ラベルの「オン・マイ・オウン」(1986)です。

ドゥービー・ブラザーズでも活躍したマイケル・マクドナルドとの
デュエットになっています。

サビの部分のみ記憶にありました。典型的なAORだと思います。

チューリップ赤



3曲目は、グレゴリー・アボットの「シェイク・ユー・ダウン」(1986)です。

自作のデビュー曲です。少し声高めで、カントリー系ソウルでも
歌わせたら似合いそうです。

女性歌手のフリーダ・ペインと数年間結婚していたようです。




4曲目は、リサ・リサ&カルト・ジャムの「ヘッド・トゥ・トー」(1987)です。

次曲のロスト・イン・エモーション」(1987)でも両チャートNo.1でした。

当時流行の打ち込みサウンドになっていると思います。




最後は、アトランティック・スターの「オールウェイズ」(1987)です。

私はシャロン・ブライアントがいる頃も素晴らしかったと思います。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

POP/R&B 両チャートNo.1 その13 [黒人音楽]


POP/R&B両チャートNo.1の「その13」は、1984-1985年からの5曲で、
先日亡くなったプリンスも登場します。

なおホイットニー・ヒューストンは、別枠で登場させたので省略致します。

フュージョン、ディスコ、ファンクの時代をくぐり抜け、
黒人と白人の音楽の差が減ったように思います。


1曲目は、ビリー・オーシャンの「カリビアン・クイーン」(1984)です。

風貌とは異なり、白人風な歌唱をする人のようです。

「ゼアル・ビー・サッド・ソングズ」(1986)、「ゲット・オウタ・マイ・ドリームス、
ゲット・イントゥ・マイ・カー」(1988)でも両チャートNo.1です。




2曲目は、レイ・パーカーJr.の映画テーマソング「ゴースト・バスターズ」(1984)です。

都会派黒人シンガー・ソングライター風なイメージがあるのですが、
こんなハチャメチャな曲も書くとは!?

彼はセッション・ギタリストやプロデューサー業もしており、
何でも出来る人のようです。ヴォーカルは渋いです。




3曲目は、プリンスの「レッツ・ゴー・クレイジー」(1984)です。

前曲「ホエン・ダヴズ・クライ」(1984)他、計4曲で両チャートNo.1となっています。

先の2曲は、いずれも超大ヒット・アルバム「パープル・レイン」からのシングル・カットです。

プリンスは1978年レコードデビューで、ミック・ジャガーらに絶賛されたりしてはいましたが、
これらのシングルとアルバムと映画で、さらに大勢のファンを獲得しました。

R&BチャートNo.1は全8曲、POPチャートNo.1は全5曲です。

最近ヒットチャートからはご無沙汰していましたが、地道に良いアルバムを作ってました。




4曲目は、デニース・ウィリアムスの「レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイ」(1984)です。

ジョニー・マティスとのデュエットで先に両チャートNo.1獲得済ですが、
ソロとしてはこの曲が唯一です。

彼女は他に「イッツ・ゴナ・テイク・ア・ミラクル」(1982)でR&B No.1になっています。
歯切れの良いスカッとした歌唱が魅力的です。




5曲目最後は、ディオンヌ・ワ-ウィックの「愛のハーモニー」(1985)です。

エルトン・ジョン、グラディス・ナイト、スティービー・ワンダーと一緒に歌っています。
バート・バカラックとキャロル・ベイヤー・セイガーが作った秀曲です。

オリジナルは、映画「ラブ IN ニューヨーク」(1982)のサントラで、
ロッド・スチュワートが歌ったものだそうです。私は全く知りませんでした。




nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

POP/R&B 両チャートNo.1 その12 [黒人音楽]


POP/R&B両チャートNo.1の「その12」は、1979-1981年からの5曲です。

今回は日本でも有名なアーティストが、多めに揃いました。


最初はドナ・サマーの「バッド・ガール」(1979)です。

「マッカーサー・パーク」(1978)、「ホット・スタッフ」(1979)から
3曲連続の全米No.1にもなっています。これはすごいことです。

彼女の音楽は、ディスコからファンクへ変化していたと思います。




次はアニタ・ワードのデビュー曲「リング・ベル」(1979)です。
ヒットは本当にこの曲だけだったみたいです。

全米音楽界としても、ディスコ最後の大ヒット曲でしょうか?




3曲目は、クール&ザ・ギャングの「セレブレイション」(1980)です。

R&BのNo.1は、「ハリウッド・スウィンギング」(1974)を皮切りに、
9曲もある人気ファンク・グループです。

1980年頃リード・ヴォーカルにジェイムス・テイラーを迎えてからは、
さらに一般受けするグループになりました。




4曲目は、ホール&オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」(1981)です。

POPチャートNo.1は、「リッチ・ガール」(1977)を初めに、全部で6曲もあります。

同世代アーティストなので、たまにベスト盤を聴きたくなります。




最後は、ライオネル・リッチーダイアナ・ロスとのデュエットで
エンドレス・ラヴ」(1981)です。

コモドアーズのリード・ヴォーカリストだった彼は、
ソロ活動に入ってからも大ヒット連発で、

4曲も両チャートNo.1になっています。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

POP/R&B 両チャートNo.1 その11 [黒人音楽]

POP(現全米)/R&B 両チャートNo.1の「その11」は、
1976-1978年からの5曲です。

私にとっては懐かしい、シックやテイスト・オブ・ハニーも登場します。

1曲目は、テルマ・ヒューストンの「ドント・リーヴ・ミー・ディス・ウェイ」(1976)です。

R&Bというよりも、ロック的なフィーリングを感じます。




2曲目は、シックの「おしゃれフリーク」(1978)です。

翌年の「グッド・タイムズ」(1979)でも、両チャートNo.1です。

ダフト・パンクの「ゲット・ラッキー」(21013)で、最近復活していますが、
ナイル・ロジャースのギターが非常に印象的です。

ベースのバーナード・エドワーズと共に、プロデューサーとしても活躍していました。




3曲目は、テイスト・オブ・ハニーの「今夜はブギ・ウギ・ウギ」(1978)です。

これまたギターとドラムスのコンビネーションがカッコ良い。

「上を向いて歩こう」の英語版「スキヤキ」(1981)は、
R&B No.1になっています。




4曲目は、50年代から活躍しているジョニー・マティスと、
デニース・ウィリアムズのデュエットで「トゥー・マッチ、トゥー・リトル、トゥー・レイト」(1978)です。

デニースの歌は、切れ味良く鮮烈な印象です。




最後は、コモドアーズスリー・タイムズ・ア・レディ」(1978)です。

ヴォーカルは、あのライオネル・リッチーで、
名スロー・バラードになっています。

元々ファンク・グループのコモドアーズは、
「スティル」(1979)でも両チャートNo.1、

「スリッパリー・ホエン・ウェット」(1975)他計7曲が
R&B No.1となっています。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

POP/R&B 両チャートNo.1 その10 [黒人音楽]

POP/R&B両チャートNo.1の「その10」は、
1976-1977年からの5曲です。

最初は、ジョニー・テイラーの「ディスコ・レディ」(1976)です。

あのブルースのジョニーさんもディスコで、
生涯唯一の両チャートNo.1となりました。

ただディスコといっても、本人の歌唱はいつもと
あまり変わっていないと思います。

「フーズ・メイキング・ラヴ」(1968)等、R&B No.1は
合計4曲あります。




次は、シルヴァーズの「ブギー・フィーヴァー」(1976)です。
シルヴァー兄弟の黒人男女数名からなるグループです。

なかなかノリが良くてGoodです。

ジャクソン5と同じで、声変わり前の男の子も
少しリードをとっています。




3曲目は、マンハッタンズの「キス・アンド・セイ・グッバイ」(1976)です。
こちらは正統派黒人コーラスグループの、正統派スウィートソウルです。

リード・ヴォーカルは、ジェラルド・アリストンで、
サム・クックの影響も伺えます。




4曲目は、ローズ・ロイスのデビュー曲「カー・ウォッシュ」(1976)です。

LA出身のヴォーカル&インスト、ファンク・グループで、
女性がリードをとっています。




最後の5曲目は、エモーションズの「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」(1977)です。

元々は女性3姉妹からなるグループで、
この曲はアース・ウィンド・ファイアの
モーリス・ホワイトらがプロデュースしています。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

スティービー・ワンダーの「いそしぎ」(1969) [黒人音楽]


2/20のブログで取り上げた、スティービー・ワンダーの「いそしぎ
/The Shadow Your Smile」のYouTubeを初めて見た時は、
少し感動しました。

何故かというと以下の理由①~④によると思います。

①私の好きなスタンダート曲を、あのスティービーが
取り上げてくれていたという驚き 

②ビートルズ「ヘイ・ジュード」のミュージック・ビデオ等と
近い演出なのですが、盲目であるスティービーを
大勢の若者が取り囲んで聴くという演出
(当時良くあったものだと思います) 

③大人になったスティービーなのにまだ白黒テレビで、
外国イタリアでの映像という、貴重なものを見た感覚 

④彼の声の良さと、古典的なストリングズ&コーラス・アレンジ


2度目なのですが、以下にまた彼の「いそしぎ」をアップします。




?まさかと思って確認してみると、1969年の彼のアルバム
「マイ・シェリー・アモール」の4曲目収録でした。

しかも、一年くらい前に図書館CDをダビングしたものだけれど、
私の手元にもありました。

良いアルバムだなと思っていましたが、「いそしぎ」が入っている
とはすっかり忘れてました。

2つを聴き比べてみると、少し音質は変わってますが、
全く同じ!です。

つまり上のYouTube映像は、口パクだった事になります。

少し「ナーンだ」と思い、改めて上記の理由①~④を考えてみたワケです。


アルバム「マイ・シェリー・アモール」からタイトル・トラックです。
シングルカットされて、POP/R&B両チャート4位になっています。




おまけで、ビートルズの「ヘイ・ジュード」(1968)です。
後半、実は大勢の若者に取り囲まれていたという演出になっています。




P.S.これも口パクのような気がします。マーしょうがないか・・・。

P.S.(2)今考え直しましたが、上記YouTubeは口パクとは
必ずしも言えないです。スタジオでは本人生演奏で、
放送用に別途録音を流すこともあるかも知れません。




POP/R&B 両チャートNo.1 その9 [黒人音楽]

POP(現全米)/R&B両チャートNo.1 「その9」は、
1975~1976年からの5曲です。

ディスコ時代到来しました。

その前にファンクの流れもあり、両者の厳密な区分けは
難しいと思います。

この辺からようやく、私はリアルタイムで聴いており、
みんな懐かしいです。


1曲目は、シルヴァー・コンベンション
フライ・ロビン・フライ」(1975)です。

当時聴いていますが、映像は初めて見ました。
キャバレーのお姉さんみたいな感じです。

ドイツ出身のディスコ・グループらしいです。

次曲の「恋のブギー」(1976)もPOPチャート2位になっています。




2曲目は、アース・ウィンド&ファイヤー
シャイニング・スター」(1975)です。

その後も「シング・ア・ソング」(1975)等、
計8曲でR&B No.1取ってますが、
両チャートNo.1はこの1曲のみです。

当時人気絶頂に思えた彼らでも1曲のみか・・・と思います。

リーダーでメイン・ヴォーカリストの一人だったモーリス・ホワイトは、
2016年2月3日に74歳で亡くなりました。




3曲目は、KC & サンシャイン・バンドの「ゲット・ダウン・トゥナイト」(1975)です。

次曲のより有名な「ザッツ・ザ・ウェイ」(1975)、
「シェイク・ユアー・ブーティー」(1976)も両チャートNo.1です。

その他「アイム・ユアー・ブギーマン」(1977)等、
計5曲でPOPチャートNo.1です。

「キープ・イット・カミング・ラヴ」(1977)はR&B1位、POP2位でした。

実績からすれば、最高のディスコ・グループでしょうか?




4曲目は、ヴァン・マッコイの「ハッスル」(1975)です。

当時流行りました。この明るく野放図なところが新鮮でした。




5曲目最後は、ワイルド・チェリー
プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」(1976)です。

当時は黒人音楽など関心がなかったため、
曲中の黒人音楽らしさは記憶から欠落していました。

記憶とはおかしなモノです。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

POP/R&B 両チャートNo.1 その8 [黒人音楽]

POP(現全米)/R&B両チャートNo.1の「その8」は、
また70年代からの5曲です。

まだまだ70年代は多くて、今回はみんな1974年の曲です。


1曲目は、ロバータ・フラック
フィール・ライク・メイキング・ラヴ」(1974)です。

コーヒーのCMソングにもなった名曲「やさしく歌って」(1973)は、
惜しくもR&Bチャートの方が2位止まりでした。

POPチャートNo.1は他に「ファースト・タイム・エバー・
アイ・ソー・ヒズ・フェイス」(1972)の計3曲、

R&BNo.1は他に「ホエア・イズ・ユア・ラヴ」
(1972)等の計4曲あります。

両チャート1位を取れる音楽性のある人ですが、
結局1曲のみでした。




2曲目は、スリー・ディグリーズ
ソウルトレインのテーマ」(1974)です。

両チャート唯一のNo.1でした。

次の次の曲が「天使のささやき」(1974)で、POPチャート2位です。

彼女らは日本でも人気が有り、
日本語で「苦い涙」も歌っていました。

日本での人気曲の一つ「荒野のならず者」(1973)は、
アメリカではヒットしていません。




3曲目は、ジョージ・マックレー
ロック・ユアー・ベイビー」(1974)です。

これがデビュー曲です。

デビュー曲が唯一のNo.1という例は結構あると思います。

長い間奏部のギターにフュージョン時代を感じます。

奥さんは歌手のグウェン・マックレーです。




4曲目は、のオハイオ・プレイヤーズの「ファイアー」(1974)です。

サイレンの音から始まります。

翌年の「ラヴ・ローラーコースター」(1975)でも両チャートNo.1です。

その他「ファンキー・ワーム」(1973)等、
計5曲でR&B No.1となっています。

人気のあるファンク・バンドは、
両チャート1位を取るケースがあるようです。




5曲目は、あのパティ・ラベルが在籍していたラベル
レディー・マーマレード」(1974)です。

両チャート唯一のNo.1となっています。

なかなかファンキーで、ノれる曲です。
ディスコ時代が近いという感じがします。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

POP/R&B 両チャートNo.1 その7 [黒人音楽]

POP(現全米)/R&B 両チャートNo.1の「その7」です。

今回は70年代の5曲を紹介します。
70年代はいわゆるフュージョンの時代?のためか、
両チャートNo.1の曲数が段々増えてきています。


最初は、ダイアナ・ロスです。

シュープリームスをやめてソロになってから、
計4曲の両チャートNo.1を出しています。

「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」(1970)、
「ラヴ・ハングオーバー」(1976)、「アップサイド・ダウン」(1980)、

ライオネス・リッチーとのデュエット「エンドレス・ラヴ」(1981)です。

彼女は、その他にも2曲のPOPチャートNo.1ヒット
「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」(1973)、
「マホガニーのテーマ」(1975)を歌っています。

ここでは、最初の両チャートNo.1の
「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」を聴いて下さい。




次はオージェイズの「ラヴ・トレイン」(1973)です。

前年の名曲「裏切り者のテーマ」(1972)は
POPチャートの方が、惜しくも3位止まりでした。

彼らはその他にも「ギヴ・ザ・ピープル・ホワット・ゼイ・ウォント」(
1975)等8曲、計10曲ものR&B No.1を獲得しています。

彼らの唱法はソウルそのものなので、
時代が下ってもPOPチャートでは分が悪いようです。




3番目は、グラディス・ナイト&ピップス
夜汽車よ!ジョージアへ」(1973)です。

その他にも8曲のR&B No.1があり、
「悲しいうわさ」(1967)、「ニーザー・ワン・オブ・アス」(1973)は、
POPチャートで惜しくも2位でした。

彼女も代表的な女性ソウル歌手なので、
オージェイズと同じことが言えます。




4番目は、元テンプテーションズのリードヴォーカリストである
エディ・ケンドリックスの「キープ・オン・トラッキン(パート1)」(1973)です。

次の曲の「ブギー・ダウン」(1974)は、
POPチャートの方が2位止まりでした。

「シューシャイン・ボーイ」(1975)もR&BチャートNo.1です。




5番目は、バリー・ホワイト
キャント・ゲット・イナフ・オブ・ユア・ラヴ」(1974)です。

あのPOPチャートNo.1の有名曲「愛のテーマ」を作った、
シンガーソングライター、プロデシューサーでもあります。

POPチャート2位止まりだった
「ユー・アー・ザ・ファースト、ザ・ラスト、エヴリシング」(1975)等、
他にも4曲のR&BチャートNo.1があります。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

POP/R&B 両チャートNo.1 その6 [黒人音楽]


POP(現全米)/R&B両チャートNo.1の「その6」です。

60~70年代の6曲を年代順に紹介します。
ソウルやファンクの時代になって来ています。

1曲目は、リトル・エヴァの「ロコモーション」(1962)です。

この曲はカバーも多いですが、
リトル・エヴァがオリジナルで、黒人女性でした。

彼女のデビュー曲です。POPソングの印象が強かったため、
前回には見落としてしまいました。

ゴフィン&(キャロル)キングの曲であり、

当時リトル・エヴァは、彼らの子供の
ベビーシッターをしていたそうです。




2曲目は、アーチー・ベル&ドレルズ
タイトゥン・アップ」(1968)です。

これも彼らのデビュー曲で、
見事な自作ファンクになっています。




3曲目は、スライ&ファミリー・ストーン
エヴリデイ・ピープル」(1968)です。

彼らは他にも「サンキュー」」(1969)と「ファミリー・アフェアー」
(1971)が両チャートNo.1になっており、

ファンクとロックを自由に行き来した名グループです。




4曲目は、黒人女性3人グループの
ハニー・コーンの「ウォント・アズ」(1971)です。

それまでの黒人女性グループの多くと異なり、
完全なソウルになってます。

後にもこのスタイルは少なく、貴重な人たちです。




5曲目は、スウィート・ソウル・グループのチャイ・ライツ
オー・ガール」(1972)です。

ひとつ前のシングル「ハヴ・ユー・シーン・ハー」(1971)も、
R&BチャートNo.1になっています。




6曲目は、ビル・ウィザーズの「リーン・オン・ミー」(1972)です。

コンテンポラリーな資質を持った人であり、

ポール・マッカートニーも、彼のデビューヒット曲
「エイント・ノー・サンシャイン」(1971)を後年カバーしてます。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽
前の10件 | - 黒人音楽 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。