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POP/R&B 両チャートNo.1 その5 [黒人音楽]

POP(現全米)とR&Bの両チャートNo.1の「その5」は、
引き続き60年代です。まだ漏れがありました。

また生涯唯一の両チャートNo.1で、年代順に5曲行きます。


まず1曲目は、ジーン・チャンドラーの「デューク・オブ・アール」(1962)です。
私は全く知りませんでした。

その後もR&Bチャートで2位1曲、3位3曲もあります。




2曲目は、ポール&ポーラで、「ヘイ・ポーラ」(1963)です。

有名なオールディーズですが、白人デュオなので、
R&BでもNo.1とは意外でした。

まだ時はソウル時代前なので、
POPとR&Bの境界が緩かったのでしょうか?




3曲目は、黒人女性グループのシフォンズ
ヒーズ・ソー・ファイン」(1963)です。

ジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」が
盗作で訴えられた曰くのある曲です。

シロートの私からは、そんな似てるとは思わないですけど・・・。
やっぱり似てるか。




4曲目は、レスリー・ゴーアの「イッツ・マイ・パーティ」(1963)です。

白人女性歌手なので、これもR&B1位とは意外でした。

女性ながらに元気でパンチの効いている所が、
黒人音楽の感性に近いのかもしれません。

ブレンダ・リーあたりもR&BのNo.1はありませんが、
TOP10ヒットは何曲も出しています。




5曲目は、メアリー・ウェルズの「マイ・ガイ」(1964)です。

その他に「ユー・ビート・ミー・トゥー・ザ・パンチ」と
「トゥー・ラヴァーズ」の2曲で、R&BのNo.1になっています。



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スティービー・ワンダーのラテン音楽 [黒人音楽]



スティービー・ワンダーの本「ある天才の伝説」を読んでいたら、
ラテンの影響として彼の3曲が上げられていました。

今回はそれらの曲と、そのカバーを紹介したいと思います。

私は、スティービーもラテン音楽も好きなので、
良いとこ取り出来ると言う訳です。

まず1曲目、スティービーの
ドント・ユー・ウォリー・アバウト・ア・シング」(1973)です。

名作アルバム「インナーヴィジョン」からの曲で、
最初の4小節はマンボのリズムだそうです。

また最初の会話は、彼自身が酒場の会話を
一人で演じているらしいです。




次に、インコグニートによる同曲のカバーです。

ジャズやファンク、R&B等音楽性の広い彼らですが、
ここではラテン音楽になっています。




2曲目は、スティービーの
バード・オブ・ビューティー」(1974)です。

ブラジルの伝統楽器クイカが使われていて、

歌詞の3番はあのセルジオ・メンデス
ポルトガル語訳したものとなっています。

心の休暇を勧める美しい曲です。




次に、イリアーヌ(1960- p, vo)による同曲のカバーです。

やや囁くように歌う、ボサノヴァ系の歌唱をしています。
彼女のピアノも素晴らしいです。




3曲目は、スティービーの「アナザー・スター」(1976)です。

名作「キー・オブ・ライフ」からの曲で、
ラララ~のハーモニー、ホーンやコンガ、
ティンバレスがラテン音楽っぽいです。

ジョージ・ベンソン(g)、ボビー・ハンフリー(fl)も
参加しています。




次に、キャシー・スレッジによるによる同曲カバー(1995)です。

ロジャー・サンチェスのプロデュースによる
ハウス・ミュージックだそうです。

シャウト部分が好きです。

彼女は、「ウィ・アー・ファミリー」等のヒットで知られる
シスター・スレッジのメンバでした。


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長年愛用したレコードガイド その3 [黒人音楽]

長年愛用したレコードガイドの「その3」は、

U.S.ブラック・ディスク・ガイド」(1994)を
取り上げたいと思います。

それまでも黒人音楽は聴いていたのですが、
より本格的に好きになったのは、本ガイドを

頼りに主に中古盤CDを一枚一枚入手して
行ってからだと思います。

雑誌「ミュージック・マガジン」等でその名を
知っていた鈴木啓志(ひろし)が編者、その他、
小池斉、高地明ら計19名の出筆陣です。

鈴木啓志さんの黒人音楽に対する熱意は
敬服するところです。

今書いていて気づいていたのですが、

プロ野球300勝の鈴木啓示(けいし)投手と、
その頑固な所のイメージがダブります。

本書は50-90年代の黒人メインストリーム音楽
の主要アーティストが、900枚以上の代表アルバム
を切り口に紹介されています。

類似本の中では、詳しさや幅の広さにおいて、
最高のガイドだと思います。

本ガイドがきっかけで好きになったアーティストを
以下にあげます。ほんの一例です。


まず最初はウィルソン・ピケット
曲は「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」(1965)です。

それまではベスト盤を聴いていただけですが、
オリジナル・アルバムを聴き出しました。

ジョン・レノンが、彼の名を上げて自分の曲を
説明する意味が、良くわかります。

シャウト時の唱法など、シンガーとして
共通する点も少しあると思います。






2番目はタワー・オブ・パワー
曲は「ホワット・イズ・ヒップ」(1973)です。

白人黒人混成グループで、ホーン・セクション、
リズム・セクションが印象的です。

彼らと共通点のある、ロック寄りの
アヴェレイジ・ホワイト・バンドも好きです。






3番目はドラマティックス
曲は「ワッチャ・シー・イズ・ワッチャ・ゲット」(1972)です。

バリトンからファルセットまで聴かせます。
この辺の魅力は、このグループならではです。






4番目はオーラ、曲は「アー・ユー・シングル」(1981)です。

スターリナ・ヤングのキレの良いヴォーカル、バックバンド
(スレイヴのメンバ)のファンクのノリが良いです。






最後5番目は、ミーターズのデビュー曲
ソフィスティケイテッド・シシー」(1969)です。

インスト曲の多いバンドですが、
ニューオーリンズ発祥のセカンドライン・ファンク独特の、
粘りのある演奏が非常に魅力的です。







POP/R&B 両チャートNo.1 その4 オーティス・レディング、スモーキー・ロビンソン他 [黒人音楽]

何曲もPOP(現 全米)/R&B両チャートNo.1を出す、
ごく稀なアーティストがいる一方、

1曲のみというアーティストも多いです。

今回は、60-70年代に生涯で唯一両チャートNo.1ヒットを出した、
4組のアーティストを取り上げます。


1曲目は、ドリフターズ(全員集合!の方ではありません)
の「ラストダンスは私に」(1960)です。

越路吹雪など、日本でも多くのカバーがあります。

リードボーカルは、あのベン E. キングで、
後に「スタンド・バイ・ミー」(1961)を歌った人です。

ちなみに「スタンド・バイ・ミー」は、
POPチャートの方が4位にとどまっています。

ドリフターズには、POPチャート2位止まりだった
「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」(1959)などの、

計5曲のR&B1位曲があります。




2曲目は、パーシー・スレッジの「男が女を愛する時」(1966)です。

なんとこれがデビュー曲です。

誰でも聴いたことのある曲だと思います。

本人の適性は、ややカントリー風味のあるソウル
だったようですが、この曲が大ヒットしたため、
その後の活動にやや齟齬をきたしたみたいです。




3曲目は、オーティス・レディングの「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」(1968)です。

POP、R&B唯一のNo.1で、飛行機事故死の後に発売されました。

知名度の割に大ヒット曲は少ないですが、
後に与えた影響度大の人です。




4曲目は、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ
涙のクラウン」(1970)です。

ミラクルズは、「ショップ・アラウンド」を初めとする
4曲のR&BのNo.1ヒットがあります。

アルバムの方も、良いものが多いと思います。

ソロ時代のスモーキー・ロビンソンも、「ビーイング・ウィズ・ユー」(1981)が
POPチャート2位止まりでしたが、第一線で息の長い活動をしています。


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POP/R&B 両チャートNo.1 その3 スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、シュープリームス [黒人音楽]

POPチャートとR&Bチャート両方No.1「その3」は、
モータウン出身のアーティストを取り上げたいと思います。

まだまだ強者がいました。


まず、スティービー・ワンダーです。

子供時代から歌っており、ヒット曲も多いです。

両チャートNo.1は、「フィンガーチップス・パート2」(1963)から
「パートタイム・ラヴァー」(1983)までの8曲有ります。

R&BのNo1.は19曲で、POPチャートNo.1は9曲です。
(参加人数の多い「愛のハーモニー」両チャートNo.1は、抜いています。)

上記の天才子供時代の「フィンガーチップス・パート2」と
大人になってからの「迷信」(1972)を、以下に貼り付けます。






次に、マイケル・ジャクソンです。

子供時代にメインヴォーカルをとっていたジャクソン5と、
その後のジャクソンズ及びソロ全てを対象としました。

ジャクソン5時代は、「アイ・ウォント・ユー・バック」(1969)から
「アイル・ビー・ゼア」(1970)の4曲両チャートNo.1です。

R&BチャートNo.1も6曲あります。

ジャクソンズ時代にNo.1ヒットはなく、ソロ時代は、
「ドント・ストップ・ティル・ユー・ゲット・イナフ」(1979)から
「ユー・アー・ノット・アローン」までの9曲が両チャートNo.1です。

後者は、史上唯一の初登場No.1曲 らしいです。
ソロ時代のR&BチャートNo.1は13曲あります。

ジャクソン5時代の「アイ・ウォント・ユー・バック」と、
ソロ時代の「ドント・ストップ・ティル・ユー・ゲット・イナフ」の
2つを以下に貼り付けます。






最後にシュープリームスです。

両チャートNo.1は、「愛はどこに行ったの」(1964)から
「サムデイ・ウィル・ビー・トゥゲザー」(1969)の7曲あります。

POPチャートNo.1は12曲で、R&BチャートNo.1は8曲です。

黒人アーティストでありながら、POPチャートのNo1の方が、
R&BチャートNo.1よりも多いという、ある意味先駆的な人たちです。

ここでは、「愛はどこに行ったの」を以下に貼り付けます。




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ホイットニー・ヒューストンとマライア・キャリーのPOP/R&B両チャートNo.1は何曲か? [黒人音楽]


全米(旧POP)チャートとR&Bチャートの両方No.1の「その3」を、
60年代後半から70年代前半で、今回書くつもりでした。

しかし圧倒的な全米チャート成績を持つ、
ホイットニー・ヒューストンとマライア・キャリーの

R&Bチャートはどうなのか?に関心が移ったため、
先に調べてみました。

ドーデモいいことかもしれませんが、
彼女ら音楽の受け入れ方がどうだったのか、私には関心があります。


まずホイットニー・ヒューストンです。
彼女は11曲の全米チャートNo.1ヒットがあります。

その中でR&BチャートでもNo.1は、
「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ・フォー・ユー」(1985)から
「エクスヘイル」(1995)までの6曲でした。

R&BのみのNo.1は「ユー・ギヴ・グッド・ラヴ」(1985)と
「ハート・ブレイク・ホテル」(1998)の2曲です。

以下の映像は、初の両チャートNo.1の
「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ・フォー・ユー」です。




次にマライア・キャリーです。
彼女の場合、18曲の全米チャートNo.1ヒットがあります。

その中でR&BチャートでもNo.1は、「ヴィジョン・オブ・ラヴ」(1990)から
「ドント・フォゲット・アバウト・アス」(2005)までの9曲でした。

R&BのみのNo.1は、「ラバー・ボーイ」(2000)の1曲です。

以下の映像は、初の両チャートNo.1の「ヴィジョン・オブ・ラヴ」です。


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POP/R&B 両チャートNo.1 その2 テンプテーションズ、アレサ・フランクリン、マーヴィン・ゲイ他 [黒人音楽]

次に書くべきアーティストが、何組も浮かんでいるので、
POPチャートとR&Bチャート両方No.1曲「その2」を続けます。

まずテンプテーションズです。

我々黒人にとっては、ビートルズみたいな存在なんだ・・・
という話を聞いたことがあります。

「マイ・ガール」(1965)、「アイ・キャント・ゲット・ネクスト・トゥー・ユー」(1969)、
「ジャスト・マイ・イマジネーション」(1969)の3曲で、両チャートNo.1でした。

R&Bチャート1位は計15曲という優れたチャート成績です。

以下は「マイ・ガール」の映像です。




次にアレサ・フランクリンです。
顔をしかめずに軽々とシャウトするすごい人です。

リスペクト」(1967)で両チャートNo.1となっています。
彼女もR&Bチャート1位が15曲もあります。




3番目にマーヴィン・ゲイです。

「悲しいうわさ」(1968)、「レッツ・ゲット・イット・オン」(1973)、
「黒い夜パート1」(1977)の3曲で両チャートNo.1です。

名曲「ホワッツ・ゴーイング・オン」(1971)はPOPチャートで2位止まりでした。
以下は「悲しいうわさ」の映像です。




4番目にアル・グリーンです。

レッツ・ステイ・トゥゲザー」(1972)で、両チャートNo.1です。

この粘っこい(セクシー?)ヴォーカルで、POPチャートでもNo.1。
時代は変わったのだと思います。




5番目にビリー・ポールです。

ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」(1972)で、両チャートNo.1でした。
当時タブーの黒人&白人、不倫ソングらしいです。




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POP/R&B 両チャートNo.1 その1 プラターズ、サム・クック、レイ・チャールズ他 [黒人音楽]

ロックやポップスも好きだし、黒人音楽も好きなので、
POP(現 全米)チャートとR&Bチャート両方No.1曲を調べてみました。

私が思うに、これは凄いことなんです。

多分あの人たちだろうという当たりを付けから、
Wikiで検索等しています。


史上初の両チャートNo.1獲得曲は、プラターズ
グレート・プリテンダー」(1956)だそうです。

その後も、「マイ・プレイヤー」(1956)、「トワイライト・タイム」(1958)で
両チャートNo.1です。「オンリー・ユー」(1955)は、若干出るのが
早かったためか、POPチャート5位に留まっています。

以下は「グレート・プリテンダー」の映像です。




年代順に正確にたどるのは難しいので、後は適当に上げます。
黒人音楽の最重要人物の一人、サム・クックも「ユー・センド・ミー
(1957)で両チャートNo.1です。




これまた最重要人物の一人、レイ・チャールズは、
旅立てジャック」(1961)と「愛さずにはいられない」(1962)
の2曲です。以下は前者の映像です。




フォー・トップスも2曲の両チャートNo.1を出しています。
アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」(1965)と
「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」(1966)です。

以下は前者の映像です。




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