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デュアン・オールマンの「リトル・マーサ」 [ロック]


私が大学時代に好きになった、オールマン・ブラザーズ・バンド
(1968-)のアルバム「イート・ア・ピーチ」(1972)に、
リトル・マーサ」というアコースティック・ギター・インスト曲が
収録されています。

当時から良い曲だなと感じてました。

元リーダーのデュアン・オールマン(1946- g)は、
1971年にバイク交通事故で亡くなっているので、
てっきり他メンバの曲と思っていたら、
デュアンの曲&録音だということを最近になって知りました。

以下その「リトル・マーサ」です。




デュアン・オールマンは、
「オールマン・ブラザーズ・フィルモア・イースト・ライヴ」や、

デレク&ドミノス「いとしのレイラ」他の名作アルバムや名セッションで、
圧倒的なブルース・ロック・ギターを聴かせてくれています。

その一方、こんな優しい曲も残していたとは、
やはり才能ある人は違いますね。

この曲を、「最も素晴らしいアコースティック・ギター・インスト曲の一つ、
できれば自分が作曲したかった」と言った、レオ・コッキィ(1945- g, vo)
という優れたアーティストがいます。

彼も同曲を演奏しています。以下その映像です。




しかしレオ・コッキィの本領は、自作のギター・インスト曲にあるので、
以下をアップします。

メドレー(Part Two/June Bug/Train And The Gate)
(1980年代初期)です。



 
最後にオールマン・ブラザーズ・バンドの「ウィッピング・ポスト」(1970)です。

二人ギタリストがいますが、
最初に長いソロをとる金髪の人がデュアン・オールマンです。

もう一人はディッキー・ベッツ(1943-)で、彼も優れたギタリストです。

ちなみに同じく金髪のヴォーカル&キーボードの人は、
弟のグレッグ・オールマン(1947-)です。

当時の彼らにしては状態の良いビデオで、素晴らしいと思います。




P.S.冒頭の「リトル・マーサ」は、デュアンとディッキーの
ギター・デュオになっているようです。


90年代ビートルズの新曲 [ビートルズ]


ビートルズに関心のある人はご存知の通り、

故ジョン・レノンの未発表テープを元に、他のメンバーによって
ビートルズの新曲が出た時がありました。

1995~6年頃のことで、「フリー・アズ・ア・バード」と
「リアル・ラヴ」の2曲です。

プロデューサーは、元E.L.O.のジェフ・リンが務めたそうです。

今回は、3曲目候補となったけれども、検討だけに終わった
ものも含め、まとめて音源アップします。


まず最初は、「フリー・アズ・ア・バード」です。
全米6位のヒットになっています。

サビの部分と後半部の間奏は、新たにジョージと
ポールとで書き下ろしたそうです。

このビデオは、あたかもメンバー4人が演奏しているように
作られています。

ジョンの映像は、ニューヨーク・ライヴの時のものです。




2曲目は、「リアル・ラヴ」です。
全米11位のヒットになっています。

前曲同様にヨーコが持っていた、ジョンの未完成テープを
元にしています。

冒頭他の電子チェンバロは、「ビコーズ」(1969)でも
使用したもので、ポールが弾いているそうです。

ジョージのスライドギターの途中、「イエロー・サブマリン」
(1966)を思わすフレーズが少しだけ有ります。




3曲目は、その次の曲として検討されたけれども、
未発売に終わった、ジョンの未発表曲「ナウ・アンド・ゼン」です。

大変美しい曲だと思います。


最も偉大な500曲、私の知らない曲 その3 [音楽]

米音楽雑誌ローリングストーンが、
数年前に発表した「最も偉大な500曲」から、

私の知らなかった曲を中心に音源アップします。

今回は「その3」です。ロック、フォーク、カントリー、ポップス、
ソウル、R&B等からの500曲になっています。


以下は、470~479位ののリストです。順位、アーティスト名、曲名の順です。

470 – Joni Mitchell – Free Man In Paris.
471 – Willie Nelson – On The Road Again.
472 – Supremes – Where Did Our Love Go.
473 – Aretha Franklin – Do Right Woman, Do Right Man.
474 – Funkadelic – One Nation Under A Groove.
475 – Beastie Boys – Sabotage.
476 – Foreigner – I Want To Know What Love Is.
477 – Rick James – Super Freak.
478 – Jefferson Airplane – White Rabbit.
479 – Labelle – Lady Marmalade.

以上の中で私は、471、475、476位を知りませんでした。
この中から2曲と、知っていて好きな曲を1つ取り上げます。


まず最初は、471位のウィリー・ネルソン(1933-)の
オン・ザ・ロード・アゲイン」です。

保守的なカントリー界にあっては珍しいヒッピースタイルで、
「アウトロー・カントリー」と呼ばれたそうです。




次に、476位のフォリナー(1977- )の「アイ・ウォナ・ノウ
/ I Want To Know What Love Is」(1984)です。

全米No.1ヒットとなっています。

グループ名(Foreigner=外国人)の由来は、当時は珍しかった
英米人混在バンドだったからだそうです。




最後に、知っているけど好きな曲ということで、
470位のジョニ・ミッチェル(1943-)の「パリの自由人」(1974)です。

彼女は現在、音楽界からリタイアし、画家として活動していると
聞いていましたが、闘病中らしいです。




POP/R&B 両チャートNo.1 その11 [黒人音楽]

POP(現全米)/R&B 両チャートNo.1の「その11」は、
1976-1978年からの5曲です。

私にとっては懐かしい、シックやテイスト・オブ・ハニーも登場します。

1曲目は、テルマ・ヒューストンの「ドント・リーヴ・ミー・ディス・ウェイ」(1976)です。

R&Bというよりも、ロック的なフィーリングを感じます。




2曲目は、シックの「おしゃれフリーク」(1978)です。

翌年の「グッド・タイムズ」(1979)でも、両チャートNo.1です。

ダフト・パンクの「ゲット・ラッキー」(21013)で、最近復活していますが、
ナイル・ロジャースのギターが非常に印象的です。

ベースのバーナード・エドワーズと共に、プロデューサーとしても活躍していました。




3曲目は、テイスト・オブ・ハニーの「今夜はブギ・ウギ・ウギ」(1978)です。

これまたギターとドラムスのコンビネーションがカッコ良い。

「上を向いて歩こう」の英語版「スキヤキ」(1981)は、
R&B No.1になっています。




4曲目は、50年代から活躍しているジョニー・マティスと、
デニース・ウィリアムズのデュエットで「トゥー・マッチ、トゥー・リトル、トゥー・レイト」(1978)です。

デニースの歌は、切れ味良く鮮烈な印象です。




最後は、コモドアーズスリー・タイムズ・ア・レディ」(1978)です。

ヴォーカルは、あのライオネル・リッチーで、
名スロー・バラードになっています。

元々ファンク・グループのコモドアーズは、
「スティル」(1979)でも両チャートNo.1、

「スリッパリー・ホエン・ウェット」(1975)他計7曲が
R&B No.1となっています。


最も偉大な500曲、私の知らない曲 その2 [音楽]

10日くらい前に始めたシリーズ「最も偉大な500曲、私の知らない曲」 のその2です。

ローリングストーン誌が発表した480~489位は、以下の様になっています。
知らないけど、気に入る曲、そんな都合のイイのがまたあるでしょうか!?

480 – Van Morrison – Into The Mystic.
481 – David Bowie – Young Americans.
482 – Alice Cooper – I’m Eighteen.
483 – Cure – Just Like Heaven.
484 – Joan Jett – I Love Rock‘N Roll.
485 – Paul Simon – Graceland.
486 – Smiths – How Soon Is Now.
487 – Drifters – Under The Boardwalk
488 – Fleetwood Mac – Rhiannon.
489 – Gloria Gaynor – I Will Survive.


まず、483位のキュアー(英1978-)の「ジャスト・ライク・ヘヴン」(1987)です。

彼らは、ニュー・ウェイヴからオルタネイティヴ・ロックへ
次第に音楽性を変えて行きました。

バンドリーダーのロバート・スミス(英1959- vo, g, b)が
曲の大半を書いているそうです。

ギターが美しい小鳥の鳴き声みたいに、私は感じました。

おじさん白黒顔写真ジャケットのベスト盤を聴いてるはずだけど、
記憶にありませんでした。




次に、484位のジョーン・ジェット(米1958-)の「アイ・ラブ・ロックン・ロール」(1982)です。

全米No.1ヒットで、意外とオールド・タイプな曲と演奏になってます。

彼女が元ランナウェイズのメンバーだったことは覚えていますが、
ソロになってからはよく知りませんでした。

(当時のTV「ぎんざNOW」だかで、洋楽ベストテンを流しており覚えています。)




3曲目、488位のフリートウッド・マック(英/米1967-)の「ライアノン」(1975)です。

全米11位となっています。聴いてみたら知っていたのですが、
ライヴ・ビデオの映りも良く、懐かしいのでアップします。

彼らの初期のブルース時代からその後のPOP時代、
私は全て好きです。




最後4曲目、489位のグロリア・ゲイナー(米1949-)の「アイ・ウィル・サバイヴ」(1978)です。

全米No.1、R&Bでも4位です。

当時聴いているはずだし、微かに聞き覚えある気もするのですが、
アップします。女性解放の歌として捉えられたようです。

彼女は60年代からソウル歌手としてのキャリアありましたが、
この曲などでディスコ流行の波にも乗りブレイクしました。



私の好きな「瞳は君ゆえに」のカバー [音楽]


私の好きな「***」のカバーとして、今回は
瞳は君ゆえに / I Only Have Eyes For You」を取り上げさせて下さい。

この歌は、ミュージカル・コメディ映画「Dames」(1934)のために、
アル・デュービンに作詞、ハリー・ウォレンに作曲されたラブソングです。

比較的古いこともあり、ポピュラー、黒人音楽、ジャズ等に
広くカバーされています。


まず最初は、私が小学校6年生ころにリアルタイムで聴き、
収録LP「愛の旅立ち」(1975)も買った、アート・ガーファンクル(1941-)のバージョンです。

当時UKチャートでNo.1になったそうです。

先のアルバムは、プロデューサーのリチャード・ペリーが、
「生涯で最高の出来」とどこかで言っていたと思います。





次にこの曲を一躍有名にした、黒人ドゥーワップ・グループの
フラミンゴズによるバージョン(1959)です。

POPチャート11位、R&Bチャート3位になっています。
ローリングストーン誌の選ぶ最も偉大な500曲中の、
第157位とのことです。

映画「アメリカン・グラフティ」(1973)にも使われました。




3番目に先日のブログで書いた、ローズマリー・クルーニー
ペレス・プラードのアルバム「タバスコの香り」(1959)からの
マンボ・バージョンです。

この演奏を知ったので、今回のブログを書きました。
先の2曲のみでは、月並みな感じがするからです。




この曲はジャズ・スタンダートとも言えるのですが、4番目は
ジャズ・テナーの巨人の一人、コールマン・ホーキンス(1904-69)のバージョン(1944)です。

演奏メンバーは、ロイ・エルドリッジ(tp)、コールマン・ホーキンス(ts)、テディ・ウィルソン(p)、ビリー・テイラー(b)、コジー・コール(ds)です。




最後に、レイチェル・プライス(1985-)のジャズ・ヴォーカル・バージョン(2008)です。
彼女は、2003年のモンタレー・ジャズ・フェスティバルの
国際ジャズボーカル部門で優勝しているそうです。

まだ10代だったはずです。




リーバー&ストーラーとビートルズ [ビートルズ]

以前も記事にした、恩蔵茂さんの本
ビートルズ カバーソングの聴き方」からのネタです。

ジョンによると、当時良い曲を書いていた作曲家チームの
ゴフィン&(キャロル)キングが、レノン&マッカートニーの目標だった、
という話は私も知っていました。

しかしこの本によると、リーバー&ストーラー
かなりの影響を与えていたはず、ということです。


ジェリー・リーバー(作詞 米1933ー2011)と
マイク・ストーラー(作曲 米1933ー)は、共にユダヤ系ですが、
少年時代から黒人音楽に慣れ親しんでいました。

ハウンド・ドッグ」「監獄ロック」「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー
スタンド・バイ・ミー」(ベン・E・キングとの共作)「ヤキティ・ヤク」等、
ロックや黒人アーティスト向けの名曲を多数作っています。

またプロデュースも行い、白人にも受ける黒人音楽の
パイオニア的存在です。


ビートルズは正式デビュー前も含めると、
彼らの歌を次の5曲も録音しています。

「サーチン」「スリー・クール・キャッツ」「ヤング・ブラッド」
(以上コースターズがオリジナル)

「カンザス・シティ」(リトル・ウィリー・リトルフィールド)
「サム・アザー・ガイ」(リッチー・バレット、彼との共作)です。

以下シルバー・ビートルズ時代(1961)の「サーチン」です。
ポールがリード・ヴォーカルをとっています。




次に、ビートルズの「カンザス・シティ~ヘイ! ヘイ! ヘイ! ヘイ!」(1964)です。

「カンザス・シティ」の後、リトル・リチャード作の
「ヘイ! ヘイ! ヘイ! ヘイ!」がメドレーで続きます。




P.S. 2005年にリーバー&ストーラーの「カンザス・シティ」は、
ミズーリ州カンザス・シティの市歌になったそうです。

ロックなヒナステラのクラシック音楽 [クラシック音楽]

何日か前のブログで取り上げた、

ELPの「トッカータ」(1973)の原曲、
ヒナステラの「ピアノ協奏曲第1番」。

私も初めて聴いて、「う~ん」と思いました。

これはまるで、キース・エマーソンの前世は
ヒナステラだったのか!!と感じるくらい
音楽性が似ています。

お二人共に同時代を生きているので、
それはないですが・・・。

今回は、ヒナステラ(アルゼンチン1916-83)の
他のロックな曲をアップしてみます。

渡辺和彦の「ラテン・クラシックの情熱」という
本を参考にしました。

(渡辺さんによると「ラテン・クラシック」という言葉は
著者の造語だそうです。)


1曲目は、ギター・コンテストの人気曲でもあるという、
ギター・ソナタ 作品47」(1976)です。

1976年とは比較的最近ですね。ひょっとして現代よりも、
100年後にもっと有名になっているかもしれません。

渡辺さんによると、「最終楽章での爆発するリズム、
これはほとんどロックに等しく、悶えてしまうくらい
カッコいい」とのことです。

最終第4楽章は、下のYouTubeの11:11位から始まります。




2曲目は、先のギター・ソナタについで録音が多いという
ピアノ・ソナタ第1番 作品22」(1952)です。

下に取り上げるのは、矢野志保美さんの演奏です。

彼女は、ご自分でYouTubeへアップされており、
アメブロも書いていらっしゃいます。

14:10位から始まる最終第4楽章が、
やはり一番ロックかもしれません。




3曲目は、「ハープ協奏曲 作品25」(1956)です。

良い実演版もあったのですが、以下の音源はCDからのものです。

渡辺さんも先の著作で、ギターやハープは音量が
オ-ケストラに比べて弱いため、音量調節のできない実演では
問題を抱えている」と書いていました。




POP/R&B 両チャートNo.1 その10 [黒人音楽]

POP/R&B両チャートNo.1の「その10」は、
1976-1977年からの5曲です。

最初は、ジョニー・テイラーの「ディスコ・レディ」(1976)です。

あのブルースのジョニーさんもディスコで、
生涯唯一の両チャートNo.1となりました。

ただディスコといっても、本人の歌唱はいつもと
あまり変わっていないと思います。

「フーズ・メイキング・ラヴ」(1968)等、R&B No.1は
合計4曲あります。




次は、シルヴァーズの「ブギー・フィーヴァー」(1976)です。
シルヴァー兄弟の黒人男女数名からなるグループです。

なかなかノリが良くてGoodです。

ジャクソン5と同じで、声変わり前の男の子も
少しリードをとっています。




3曲目は、マンハッタンズの「キス・アンド・セイ・グッバイ」(1976)です。
こちらは正統派黒人コーラスグループの、正統派スウィートソウルです。

リード・ヴォーカルは、ジェラルド・アリストンで、
サム・クックの影響も伺えます。




4曲目は、ローズ・ロイスのデビュー曲「カー・ウォッシュ」(1976)です。

LA出身のヴォーカル&インスト、ファンク・グループで、
女性がリードをとっています。




最後の5曲目は、エモーションズの「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」(1977)です。

元々は女性3姉妹からなるグループで、
この曲はアース・ウィンド・ファイアの
モーリス・ホワイトらがプロデュースしています。




インストルメンタル全米No.1 その6 [音楽]


インストルメンタル全米No.1の「その6」です。

前回も報告したように、チャート初期の曲に漏れがあったので、
1955-58年の5曲をお送り致します。

昔の方がインストNo.1が沢山あったようです。


1曲目は、ネルソン・リドル&ヒズ・オーケストラ
リスボン・アンティグア」(1955)です。

彼は、1921年 米国 ニュージャージー州 オラデル生まれの、
作編曲家、バンドリーダーです。

フランク・シナトラやエラ・フィッツジェラルドら有名歌手の
オーケストラ・アレンジをしたことで良く知られています。

比較的最近では、リンダロンシュタットと共同でアルバムを作り、
ヒットしました。




2曲目は、レス・バクスター楽団の「パリの可哀そうな人々」(1956)です。

彼は、1922年米国テキサス州生まれの作編曲家、指揮者です。

マーティン・デニーと並び、エキゾチカ(エキゾチック・サウンド)を
代表する存在だそうです。

本曲は元々、シャンソン歌手エディット・ピアフのヒット曲
「かわいそうなジャン」(1954)です。




3曲目は、モリス・ストロフ楽団の「ムーングロウとピクニックのテーマ
(1956)です。

彼は、1898年米国ペンシルベニア州 フィラデルフィア生まれの
作編曲家、指揮者です。

映画「カバーガール」 (1944), 「ジョルスン物語」 (1946),
「わが恋は終りぬ 」(1960)で3度のアカデミー最優秀音楽賞を
受けています。

本曲は、ジャズの「ムーングロウ」が原曲で、
映画「ピクニック」からのものです。




4曲目は、チャンプスの「テキーラ」(1958)です。

彼ら(The Champs 1958-65)は、西海岸セッションバンドの
元メンバーからなるインスト・ロック・グループです。

よく耳にする曲だと思います。




最後5曲目は、ペレス・プラード楽団の「パトリシア」(1958)です。

彼は、1916年キューバのマタンサス (Matanzas) 生まれの
作曲家、ピアニスト、バンドリーダーです。

「マンボの王様」と呼ばれています。

ドリフターズのTVで、加藤茶が「チョットだけよ」というシーンで流れる、
「タブー」も彼の曲(1957)です。


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